| 日系ペルー人口述史プロジェクト(JPOHP)について |
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| Root-bではリナ・ホシノさんと同時期に米国より来日する、法学博士グレース・メグミ・シミズさんの「日系ペルー人口述史聞き取りプロジェクト」を支援しています。 |
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| 歴史的背景 |
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第二次大戦中に、ペルーから日系人が強制連行され、アメリカ合衆国の強制収容所に強制収容されていたことは、多くの人々にとって意外な事実です。これは、日本、アメリカ、ペルーの人々を結ぶ歴史のあまり知られていない部分なのです。
■第二次大戦中の日系ラテンアメリカ人の知られざる物語■ 1941年12月から1945年にかけて、アメリカ政府は、日本軍のアメリカ人捕虜との人質交換用に、ラテンアメリカ13カ国2,264人の日系人を強制連行しました。そのうちの約1,800人(80%)が日系ペルー人です。 アメリカ政府は国境越えの費用と司法省管轄下の収容所での抑留中の費用を負担しました。日系ペルー人のほとんどは、テキサス州クリスタルシティにある、移民労働者用のキャンプとして使われていた場所に収容されました。同じ収容所には、日系アメリカ人や、アメリカ合衆国およびラテンアメリカ諸国から連行されてきたイタリア人やドイツ人もいました。1942年と1943年の二度にわたる人質交換で、500人以上の日系ペルー人が日本へ強制送還されました。残りの約1700人の日系ペルー人は、戦争終結までアメリカ合衆国内で収容され続けました。 1945年の戦争終結後も彼らの試練は続きます。残留した日系アメリカ人は、アメリカ政府から「不法外国人」としての処遇を受け、アメリカからの強制退去を命ぜられました。当初、ペルー市民権を持っている、あるいはペルー市民と結婚している者を含めて、すべての日系ペルー人の再入国をペルー政府が拒否していたため、1945年11月から1945年6月までの間に、900人以上の日系ペルー人が、戦争で廃墟と化した日本へ強制送還されました。また、300人の日系ペルー人はアメリカ国内に残り、国外追放の命令に異議を申し立てる法廷闘争を行いました。最終的に無事にペルーに帰ることができたのは、たった100人だけでした。 アメリカ国内に残った300人の日系ペルー人のうち大部分は仮釈放され、ニュージャージー州のシーブルック農園で低賃金労働者として雇われました。1952年になってやっと、これらの日系ペルー人に永住権取得手続きをする資格ができ、そのうちの多くは、後に市民権も獲得しました。 アメリカ政府によるこのような人権侵害は、国家の安全保障に対する脅威があったというよりも、むしろ、アメリカ合衆国における人種差別の歴史、排外主義、経済競争、政治上のご都合主義以外の何物でもなく、とうてい正当化され得ません。アメリカ政府は、未だに、これらの日系ラテンアメリカ人に対する過ちを認めていません。 |
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| 「日系ペルー人口述史聞き取りプロジェクト(JPOHP)」とは |
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| 「日系ペルー人口述史聞き取りプロジェクト(Japanese Peruvian Oral History Project)」は、第二次大戦中にペルーから強制連行され、パナマとアメリカの収容所に抑留されていた人たちの体験を記録するために、日系ペルー人とその家族により1991年に設立されました。こうした家族のオーラルヒストリーを収集・保存することによって、自分たちの過去の体験に対する理解を深めるだけではなく、戦争中であろうとなかろうと、このような人権侵害がどのような政府によっても二度と繰り返されることがないことを願っています。 |
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| JPOHPの目的 |
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(1)オーラルヒストリーの記録、収集。 (2)戦時中の日系ペルー人の体験について自ら理解を深めるとともに、より多くの人にこの歴史的事実を紹介すること。 (3)アメリカ、ペルー、日本の一般市民と、日系ペルー人との対話・交流を促進すること。 (4)戦時補償を求める日系ラテンアメリカ人元被収容者とその家族に情報を提供し、照会活動を行うこと。 |
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| ご興味をお持ちいただいた方へ |
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プロジェクトに関するご意見、詳細についてのお問い合わせは、下記のJPOHPまでご連絡ください。また、ご寄付をくださる方は、下記宛てに小切手を送ってくださるようにお願い申しあげます。
Japanese Peruvian Oral History Project (JPOHP) PO Box 1384 EL Cerrito California 94530 Phone: 510-528-7288 Email: jpohp@prodigy.net
ご協力ありがとうございます。 |
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